会長の写真
創立30周年を迎えて
 私の少年時代は、戦後の就職難・食糧難の真っただ中でした。当時は、両親の揃った家庭でさえも生活が大変な時代でしたが、当時、私の父親は35才の若さで他界したため、我が家の生活は非常に苦しいものでした。30才だった母は、その後再婚もせず、女手一つで3人の子どもを育て上げてくれました。
 その頃の私は、大人になったら何か商売をしてお金を稼ぎ、恩返しをしたいという気持ちが大変強かったと思います。私には、2人の弟がおりますが、現在どちらもが商売をしておりますのも、きっと同じ思いがあったのではないかと思っています。
合掌
これからも、皆様のますますのご支援を賜りますよう、伏してお願い申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。
 現在は、若い二代目が引き継いで事業を展開しています。これからも従業員を大切にし、取引先様、株主様に感謝をしながら会社を存続拡大にむけて40周年、50周年、100周年を迎えられることを祈念しつつ、筆を置かせていただきます。
 会社設立後も、私も車に乗りながら、営業活動もし、売り上げ拡大の努力をいたしました。ここまで決して順調にきたわけではありませんが、振り返ってみますと、こうして30周年を迎えられましたのは、今までさまざまな形でご支援を頂いたお取引先の皆様、そして従業員の皆さんのお陰と、心より感謝申し上げる次第です。
 そうしてようやくたまったお金で中古のトラックを買い、請負業務を続けながら、会社を設立し、本田技研様、丸順様、大和ハウス様等と取引をさせていただくことができるようになったわけです。
 ホンダ関連の会社には在職中、私は28才で結婚し、翌年には長女が授かっております。その後、長男、次男と、3人の子どもをもつに至りましたが、長男を授かったころ頃、私は子どもの頃の夢の実現のため、運送会社を退職し、同時にホンダ関連の請負作業を開始しました。それからの約3年間は、毎日20時間近く働き、必死で資金を貯めました。
 私は25才の時に、鈴鹿市にあるホンダ関連の運送会社に就職し、そこで7年間ほど勤務しをさせていただきました。この会社に就職するまでは、少しでも賃金の良い会社を求め、職を転々としていまいた。自衛隊にも3年間在籍したことがあります。この頃に経験したことや、得た技術、資格などが、現在の私の大切な礎になっています。
 しかし、当時の私は、一人が会社組織内でいくら頑張って働いても、蓄えられる資金には限度があり、商売をしたいという目標には程遠く感じたものです。
平成16年5月吉日
     寺川正男
社長挨拶
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